書籍『ソラリスの陽のもとに』

動機

旅のラゴスを読んで、SFと言うのは、荒唐無稽な話が主題ではなく、舞台装置として、科学、超能力を使って、人間を表現するものなのだということに気が付いた。
もっとSFを読んでみたい。
ということで、有名らしいこの本から。

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あらすじ

心理学者のケルビンは、惑星ソラリスの調査のために、ソラリスのステーションに降り立った。
ステーションには、すでに惑星の調査をしているスナウト、サルトリウス、ハリーがいるはずだったが、出迎えに出てこない。

ケルビンは異様に思いながら、荒れたステーション内を歩き回りスナウトにであう。
スナウトとはまともな会話が成立しなかったが、ハリーが自殺したことと、ステーション内に誰かに会ったら落ちついて対処するようにという忠告が告げられた。

本来、ステーション内にいるのは、研究員の、ケルビン、スナウト、サルトリウスの3人だけのはずだ。
しかしケルビンは、知らない女性、そして、かつて自分が愛し、自殺した女性に出会う。

研究員はそれぞれに仮説を立てるが、どれも仮説の域を出ない。
なぜなら、現象の発生源たるソラリスの海は人類と同じ思考を持っていないのだから。

感想

完全なる他者と対峙したときに人間はどうするか?

ソラリスの海の動きは人間に好意を示そうとしたものなのか?敵対したものなのか?
はたまた、条件反射のようなものなのか?
実はメッセージを発しているのか?

これらは全く分からない。
そもそもソラリスの海に<心>と言えるものがあるのかわからない。
<心>があるとして、その心は完全なる単一系。
宇宙に他者がいることなど考えもしない完全なる孤独の心だ。

主人公の心理学者ケルビンの結論は。他者を他者としてそのまま受け止めようとすることのようだ。
しかし、最後に至ってなお、海の動きを<好奇心>と言う単語で表すしかない。
結局、理解できないものは理解できないのだ。

大事なのは、理解できないものを尊重する心。
しかし、人間同士ですら宗教戦争などをしている現代人には難しい話だ。
もっとも姿が似ているからこそ理解できるはずだと勘違いして価値観を押し付けることもある。
もしソラリスの海が人間の形をしていたら、間違いなく全面戦争に発展しただろう。
一度、理解できないものは理解できないものとして納得する心を持ちたい。

宇宙の生物

ソラリスの海で真っ先に思い出したのが、「ウィッチャー3」の異世界です。
アヴァラックがゲラルトを連れて訪れた最初の異世界では、海のような生物がエネルギーを使い果たした世界でした。
元ネタはここだったのね。

ウィッチャー3のプレイ時は海が生物と言えるのか?
と疑問を持ちました。しかし、本書を読むと海も生物と言えることがありそうに感じる。

普段から、「小惑星探査で生命の起源が~」「生命の存在する可能性のある星が~」などと言うニュースを聞いて、そもそも生命の定義もできずに人間の枠で判断するのはおかしくないか?
適当なことを言って、予算を分捕りたいだけではないか?
そう疑っていましたが、何のことはない。自分だって型にはまった考え方をしていたことを思い知らされた。

ソラリス ソラリスの陽のもとに

読み終わってから、「ソラリスの陽のもとに」に関して調べたところ、「ソラリスの陽のもとに」は「ソラリス」の一部が含まれていないことを知った。
ソ連での昔の検閲のせいだそうな。

その事実を知って、では、「ソラリス」を読もう。となるかと言うと、私にその気力はなかった。
だって、難しいんだもの。
いつか「ソラリス」に立ち戻ろう。 I’ll be back

すすめる?

名作と言われる作品なのは分かりますが、私には終わり方が釈然としませんでした。
間違いなく、SFの最初の1冊ではない。
かといって、どれほど読み込めばこの作品にたどり着けるのか私は知らない。
とりあえず、たぶんSF玄人向け

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