老人と海

文庫の100冊 2018年版を読む(19冊目)。

未読の自分にすすめる?

あらすじ

ご存知の通り、「老人が海に出てカジキマグロと戦い勝利するものの、仕留めたカジキマグロは浜につくまでにサメに喰われてしまう」という話。

すすめる?

あらすじを知っているから読む価値がない?
そんなことは全くない。

あらすじを知っていても、結末を知っていても、それでも楽しめる。
そんな物語を文学というのかもしれません。
この物語はまさしく文学だ。

ヘミングウェイのだいたいの短編集は読んだ記憶があるでしょう。
その時の感想も覚えている。
「ぞうが連なって歩いているから何なんだ?」
「結局何を言いたいんだ?」
そんな感想しか抱けなかった記憶があります。
結局、わかったことと言えば、ヘミングウェイはアフリカが好きだったんだろうな~ ということだけだった…

しかし、あなたも成長している。
本作では、もう少しまともな感想を抱けます。

(いずれにせよ、ヘミングウェイはアフリカが好きなようですが…)

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既読の自分と語らう

老人サンチャゴと少年の師弟関係についてと、老人が戦ったものについて語りたい。

サンチャゴと少年

サンチャゴと少年の関係性。
これを読んだパッと思い浮かんだのが、「有頂天家族」の矢三郎と赤玉先生の関係でした。

「有頂天家族」を読んだとき、なぜこんなに面倒くさい意地の張り合いというか、気の遣いあいをするのだろうか?と疑問に思いました。
しかし、老人と少年を見ると、これが理想的な師弟関係に思えてきました。

弟子はいつか師匠を超えることが理想である。
では、師匠を超えてしまった弟子は、師匠に対してどう接すればよいのでしょうか?
父と子とは違った、繊細な関係性は、このような面倒な気の遣いあいを必要とするのかもしれない。

老人が戦ったもの

この手の本は、「自然の雄大さが…」とか「大自然を前にした時の人間の…」といった解説がありそうな気がする。
(実際あるようだ)

しかし、私は、自然の厳粛さやら、自然の偉大さやらは感じ取れませんでした。
だって、メインテーマはそこではない気がしたから。

老人が戦っている自然として描かれるのはカジキマグロやサメだけ。
戦いの舞台として海があるが、海は海だ。

タイトルが、「老人とカジキマグロ」でなくて、「老人と海」であることが、老人と自然の対比を作っているように感じられたけれど、読み終わってみると少し違うように思う。
老人にとって海は無生物よりも、生物に近い。
それこそ女性に対する感情に近いものを抱いていた。
このことを念頭に置くと、「老人と海」というタイトルの持つ意味合いも少し変わる気がする。

「人間は負けるようにはできていない」らしいが、老人はカジキマグロを失った。
不漁続きの老人が物語の終わりで何かを得たかというと、物質的には何も得ていない。
でも、最後の場面は幸福な情景に思えた。
「青い鳥」のようだ。

結局老人は、海や、サメや、カジキマグロと戦ったというよりも、何かの再確認をした。ということのような気がする。