書籍『神様のボート』

動機

新潮文庫の100冊 2018年版を読む
8冊目

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すすめる?

読んでいて愉快な本ではありません。
母娘の物語ですが、母が感情的に過ぎる。

でも、不愉快な本でもありません。
感情的であろうと、そこは母娘。2人の世界が平和な時は非常に居心地がよさそうなに見えます。

しかし、もう一度読みたいかと言われると…
そうでもないかな~
という感じです。

内容

出て行ってしまった男の言葉を信じ、いつまでも待ち続ける葉子と、その娘の草子の物語。
彼女らは、消えたパパを信じて、点々と引っ越しを続けて生活を送る。
葉子はその状態を「神様のボートにのってしまった」と表現する。

感想

母と娘の確執は普遍的なテーマなのでしょうか?
『あの人は蜘蛛を潰せない』も、母の枷から逃れられずにもがく女性の物語でした。

母親にとって、息子は可愛くてもどこか違う生物だ、いつか自分から離れてしまう。それは分かっているけれど、娘は違う。彼女は自分と同じ感性を持ち、同じ物を好み、自分が気に入る生活を気に入るはずだ…

そう考えてしまうのでしょうか?
本作の葉子はまさにその考えの持ち主でした。

娘はいつまでも自分の手元にいる。自分の思う通りになる。
そう考えていたら、突然に現実を突きつけられて悲劇の人となる。
当然予想できる悲劇ですが、本人にとってはまさに青天の霹靂

一方の娘からすると全く違う。
「だめよ。絶対にだめ」
スキー教室に行きたいと言ったときに、そう答える母に、ゆっくり慎重に説明を試みる。
子供は親を見て育つ。それは親のいい面だけとは限らない。
そして、悪い面を見たからと言って、悪い面を引き継ぐとも限らない。
感情的で、現実を生きられない母を見て娘は冷静で現実的に成長する。

そして、自分の生きたいように生きるために寮のある高校に進む。
「だめよ。」
そう言う母に、反論せずに、けれど自分の意見を曲げずに。

葉子はあの人に会えたのか?

葉子は最後に想いの人と再会することができたのか?

普通に読んだら再会できたと見て当然だとは思います。
それは私だってわかっている。

でも、認めたくない。
だって、恋に狂った女が、最後に想いの人と再会するよりも、最後まで再会できない方が綺麗じゃないですか。

しかも私は葉子の狂い方が嫌いだ。
子供がいるなら大人になれ。
大人になれなくても大人の振りをしろ。
それが責任だろ!!

という不純な動機の下、無理やり、再会できなかったことにするならば、やはり葉子は狂っていたのです。
草子だって言っています。「狂ってるわ」ってね。
男に捨てられ、娘も寮に去ってしまい、失意の底にある女が、ちょっと昔の男の残り香を嗅いでしまったために、ありもしない幻想を抱いて、過去の男に会えた妄想をした…

この方が綺麗じゃないですか。
読んでいて、この物語は全部、葉子の妄想なのではないか?と感じ場面もありましたし。
あの人と海で泳いだとか、あの人との作り話を草子に語っている場面とか。
映画だったら絶対に妄想の落ちがついてますよ。

これは正解ではないでしょうが、自分はこれを落としどころにします。

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